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市民ランナー教室があったのでその前によってきました。
中はこじんまりとしています。
評価が低いのはタイミングが悪かったんだろうけど、
僕が見学に行ったとき、感じの悪い現場に遭遇してしまったからです。
僕が入るとすでに事務員のようなおばちゃんと上司のようなオヤジがいて話をしてました。
どうも新人?らしいおばちゃんが展示物の説明をし、その説明具合を上司が点検しているようでした。
はっきり言ってこれだけでも見学の邪魔でうっとおしいのに
さらにこのオヤジがねちねちとうまく説明できないおばちゃんをいたぶっているような感じでした。
ひとがせっかく真剣に展示物を見ているのになんだその説明は、そんなんでわかるかとか
ねちねちといやらしいいじめかただったなあ。
もう、いらいらして、うるせえといってやろうかと思ったんだけど
向こうも仕事中?だろうし、口を挟むのを止めた。
今思うと一言言ってやればよかった。
いい歳したオヤジだったので館長か課長あたりかな。
お客の前で部下をけなしちゃいけないよ。
二度とお客は行きたくなくなるよ。
バカ上司なんだろうけど、せめて、せっかく見物客がいるときくらいは静かにしろい。
なんかほんとに不愉快だったので愚痴になっちゃった。
龍ケ崎市馴馬町2488番地 TEL:0297-64-6227 開館時間 9:00〜16:30
入館料 無 料
ホームページメモ)
中世、江戸崎の土岐氏が竜ケ崎に進出。
土岐氏は上杉氏(管領の?)の有力家臣。
16世紀半ばで土岐市は龍ケ崎市域の大半を支配していた。
牛久の岡見氏と対立していたが常陸太田の佐竹氏、下妻の多賀谷氏の南部進出のために同盟を結ぶ。
戦国末期には北条氏の勢力拡大によりその傘下に下る。
そして、秀吉の関東征伐のおりに北条方についたため土岐氏も北条氏と運命を共にした。
江戸時代は家康より伊達政宗が河内(かっち)郡13村、信太郡13村約1万石の飛地をもらい
竜ケ崎村に陣屋を構えた。
別段正宗がなぜ龍ケ崎一帯をもらったのかの理由は資料館ではわかりませんでした。
江戸時代の龍ケ崎は仙台藩、牛久藩、天領、旗本領と複雑だったようだ。
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